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虹色クレパス

コノブログハタレナガヒ。モジハナキソレハオモイコミデオモシロシ。チュウイセヲ。

キャラもしくは人格、人々の性格

平沢唯個人が歩んで行く自意識、それを平沢唯として認識。その場合の平沢唯はただ作品内の平沢唯としてただ歩んで行く。そんな平沢唯は作品内で他者の認識にキャラ付けされるが平沢唯はそのイメージによって歩むことなく自分の意識内で生きている(少なくともアニメ一期内ではおそらく)。ただ平沢唯への他者の認識は作品内でイメージを少し大げさに描かれて私たちの元にやってくる。そしてけいおん内の時間と私たちの作品の認識はほぼほぼ接続されており平沢唯そのものがそのようなうんたん人間であり白痴的要素を多く含んでいることを確かとして平沢唯を感じてしまう。余り離れず近づかず上手く幻想と現実と想像のせめぎ合いを覆って平沢唯はその場所に存在する。
個人の歩んできた感覚事実記憶は全て個人のものでしかなくその域はでない。他者もまた自身の個人のそれを確かに保っておりただ所縁のない他者と存在を共にせねばならない場合、また自身のそこまで来るのに大事に保ち強く発露しなければならなかった個人のそれは阻害できない。つまり他者の感覚事実記憶を自らの感覚事実記憶として挿入し自身を他者のアイデンティティとして存在させることなどできないのだ。その場所、けいおんだと桜ヶ丘高校並びにけいおん部に所属するために必要な個人のアイデンティティそれ自身を揺らがせ他者の者を自身のアイデンティティと強く共存させようとしたならばけいおんで描かれる立地は不可となる。それが故平沢唯は個人の上のちょっとしたキャラとしてけいおんに存在することとなる。それを平沢唯は望んでいるだろうし(少なくとも作品内では)周りもまたそれを同じ。だからけいおん部は破滅的道に進むことなく活動し続けられたわけだ。
ただ連続して阻害することなくけいおんは存続するとはなかなかだ。画面外では色々と逡巡、いわゆる青春の影とやらが進行していたとしても彼女たちはけいおん内では絶対に表出させない。それもさせないじゃなくて当たり前の話のように。
けいおん内では必要とされるのはふわふわであったりほのぼのであったりだけであるがだからと言って他のものが要らないわけではない。それはしっかりと其々の内部に収納されてその上で世界は保たれている。平沢唯平沢唯という個人線を持っているしその他のキャラもまた同じだ。でも今彼女たちが過ごしたい空気はそんなものではなくこのほのぼのとした空気なのだ。だからけいおん部にいてお茶をして楽器を弾く。その時間がただ大事、大切。そしてそれは他の何かと共にそこにあるだけなのだ。無理して話さない滞在しない。ただ切り取られた彼女たちの時間は無理な時間じゃない。そういうものだから緩やかほのぼのなんでしょう。うん。