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虹色クレパス

コノブログハタレナガヒ。モジハナキソレハオモイコミデオモシロシ。チュウイセヲ。

平沢唯を掴めない。平沢唯を名付けるならなにが適切であろうか。
「天然。ドジっ子。あほの子」
こういう言葉もありだがもっと別の彼女に適切な言葉を与えたい。どんなものにもわたしはそう思い平沢唯にも例外なく感じ初視聴から四年経った。
残念ながら私は何事にも適切な言葉を与えられず平沢唯にも同一で結局は平沢唯平沢唯でしかないという結果に落ち着いた。言葉の連続から産まれる心象を嵌めたり大きな概要で説明したりじゃなくて間違いなく彼女を指すそんな言葉は元からない。僕がしたことはそこにある。けいおん!で映されている。平沢唯平沢唯だ。それ以外の何者でもない。
そんな平沢唯、怪物的な平沢唯を人間であるか神であるのか確かめるために私はけいおん!一期のDVDをps4に与え視聴した。けいおん!を真面目に観るのは久しぶり。一年か二年ぶりの帰還だ(たがが三度四度しか視聴していないけいおん
けいおん!は人間だ。間違いなく人間だ。
けいおん!は総てを限りなく同じ目線、けいおん部一同の目線で世界が映し出されている。平沢唯もその一人だ。
平沢唯けいおん部の平沢唯でしかなくそれ以外の何者でもない。それに関連する彼女たちの空気を破壊する要素は彼女たちの感覚では表出しない。これは彼女たち以上に作り手側の意向だ。
自分は自分を解らぬが敢えて一つ自身の目線を云うならば製作者もどきと云うのが一番正しいのであろうからこのけいおん!もまた作者という集団の個体から映し出される醸し出される世界をただ観ている。
平沢唯と愉快な仲間たちは其々に性格と人生を持っている。ただけいおんの中で語られる、語りたい場所はそこではない。彼女たちが育んでいる大切な時間、それは全ての中の一つに過ぎない、えらくたいそうではない、それを切り取ったドキュメント。曲がっていようが停滞していようが彼女たちの中で確かに刻まれている時間を画面に表す。その空気自体を高く高く保って阻害せず繋げていく。彼女たちの可能性の中で選ばれた時間。田井中や平沢等はこの映像を観て何を感じるのだろうか。もっと違うものも在ったんだよ。そう感じることは間違いない。でも作り手は彼女たちからこの空気を感じ取った。切り取った。だからけいおんはこういう世界になった。けいおん部、一人一人其々の歴史の中で一つの場所に集まりお互いに空気を阻害せずに楽しく笑って暮らせる場所、其々がどう考えていようが、製作者はそう考えた。そうしてけいおんけいおんになった。これでしかないけいおんになった。
けいおんでしかなくなったけいおんでは平沢唯は掴めにくい。平沢唯は限りなく土壌の上でほんわかさんの域を越さない域でカメラにコントロールされている。そんな氷山の一角な唯を想像はできるが名付けるのは傲慢だ。だから私は平沢唯に名前をつけず平沢唯平沢唯それでしかないと感じる。
空気は切り取られる。高い位置で端のけいおん部の空気。幾多の彼女たちの一部、されど大切な時間。けいおんっ!。それは個人の人生を持つ彼女たち其々の関わり合いから産まれた一つの時間にカメラを置いて写し取ったドキュメントだ。