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虹色クレパス

コノブログハタレナガヒ。モジハナキソレハオモイコミデオモシロシ。チュウイセヲ。

学校を出よう!2

 

やろうとしていることが幅となりジャンルとかフックになるならばわたしには判別がつかない。いつの間にか書くこと作ることのらしき気持ちに引っ張られそこらの読者認識はどこかに飛んでいった。自分自身の立ち位置、住んでいる場所にも理由はある。どこも何もかもない場所で自ずと逃げる逃げなければ逃げざるを得ない馬鹿げた自己心をいつまでも保護し自己を弛ませて蕩けさせ腐らせているわたしにはここら辺ものは高い作りなのでなにも感じない。いいとか悪いとか本当にどうでもいい。ただその土地にうまく絡められている固有存在がそこに存在しているかが大事な話なのかなとは思う。

  自分の思考の状態としてはかなり緩く狭くせかいは定められているので伸ばさなければならない。この土地はもっと広く言葉はもっとうまくハマるということ。

 ただそれに囚われ自らの枷を外すとただ弛んだ緩いわたしがそこにいるだろう。だから今の枷に向かい削り進むのが一番。

 

何かの上の言葉だからその下をしっかり綴るためいまことば。

 

今勝手なる個人脳内ラノベ界隈のなかでは秋山瑞人構築と言いますか条理に囚われており学校を出よう!を読んでいる時も秋山か、秋山なのか? というものに囚われの娘。面白いとか面白くないとかよくわからん。一巻はキャラのわざとらしさとかいうものとか文章がよろしゅうないそうですが自分こいこい7のあのベタかつわざとらしきベタというものが大好物だからそこら辺で脱落はしない(そこに気持ち悪さを感じない理由はそとの人間であるが故なのは間違いない)。ただ文章の巧さ、構成の巧さってやつは生き方の綺麗さ華麗さってやつに尽きるっと思うのでよろしくない話ってやつは基本まだ掃除が足らんってだけだろうとは思うが。終わらせられるならばもうそこでよい。後は時の運だけ。そんなお話が商業の棚の上なんだろう。棚の上で話せるくらいの基礎さえあれば後は勝手にしなさい。どうでもいいようん。

別になんだっていいのさ。そういう高さに立っていない野郎だからねそう思っている。どうでもどうでもどうでもいい。

 逃げるためにしてないその言葉? 下に何か敷き詰めてそこになにもないとか何かがあったけれどわたしには届かなかったとか分かりきったものもわかり切るためエンドレスエンドレス。弛まず殴れ仕切れ。弛みはいけないことだ。熱中だ集中だ。ただやってやってなんだよ。弛ませるなキミを。

 

形態文脈市場が君を話させるんだろう。俺にはさっぱりだ。基本ふーんで終わるケースも多々。そう思うのは言葉にしなくていいと放ってきりのわたしだったがそれだとなにも話せないわたしになるのでこれからはそれは言葉よ、言葉なのよと自分の収集能力にハッパをかけておく。

 

 自分の言葉を綴る場所はいつも同じ幅で出てくる語彙はまた等しい。昔よく使っていた言葉をいつの間にか忘れていたりしていた。記憶力に乏しい。言葉に乏しい。幅は狭いのでいつも激辛レースの模様。

 

SFの話はふーんで好きなんだろう。だからもっともっと取り入れていきたい。言葉の弛みを弛まず言葉となるSF定理クギを自らに差し込んでいきたいとは思うが本を三行読むと投げるわたしには馬鹿馬鹿なかなか読めない過酷なるサヨナラゲームの道行。もっともっと徹底しきたいが弛むわたしがそこにはいる。無理な行為か馬鹿やろう。

 

生きたわたし生きたわたし。今ここにいるわたし。吐いて吐いて吐くわたし。徹底せよ弛ませるな。ただ瞬間を放ちて自らの糸を研いで生きる。わたしを魅せる。it's show man!